諏訪原城(島田市)概要: 諏訪原城は静岡県島田市金谷に位置する中世の城郭です。諏訪原城は元亀3年(1572)、武田信玄により築かれたのが始まりとされます。信玄は遠江侵攻の為、5つの砦を築いたとされ、当城は諏訪大社(長野県諏訪湖周辺:上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮)の分霊を勧請し城の鎮守社としたことから諏訪原城と呼ばれることになりました。
信玄が生きている間は二俣城攻防戦や三方ヶ原の戦いで勝利を収め徳川家に対して優位に展開しますが、信玄が死去すると家康は再度遠江を支配し諏訪原城も奪取します。天正元年(1573)、武田勝頼が遠江に侵攻すると再び諏訪原城を奪取して遠江攻略の拠点として重要視されます。勝頼は馬場信春に命じて大改修し、諏訪原城を拠点にして高天神城を攻略しています。天正3年(1575)には徳川家康が大攻勢をかけ諏訪原城を取り囲みますが、容易には落ちず2ヶ月に渡り攻防戦が繰り広げています。
一説には家康は正攻法では攻略出来ないと察し、金堀衆を集め城外から2之丸まで地下を掘り進め城兵を動揺させたとも云われています。徳川方の城になると、今度は武田方の城となった高天神城攻略の拠点の1つとして重要視され、さらに大手曲輪や馬出などを増築しています。天正10年(1582)、武田氏が滅ぶと重要性が薄れ天正18年(1590)に家康が関東に移封になると廃城になっています。現在も郭の形状や空堀、堀切、土塁などが明確に残り昭和50年(1975)に国指定史跡に指定されています(平成14年:2002年に追加指定)。
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