清水寺(静岡市)概要: 音羽山清水寺は静岡市葵区音羽町に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。清水寺の創建は室町時代後期の永正年間(1504〜1520年)印融法印が檀林を開いたのが始まりとされ、永禄2年(1559)、今川氏輝の遺命を受け継いだ今川義元が家臣である朝比奈丹波守元長に命じて尊寿院道因大僧正(仁和寺の僧)を招いて寺院として開山しています。
永禄11年(1568)、武田信玄の駿河侵攻の兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し一時衰退しますが、その後領主となった徳川家康が庇護し慶長7年(1602)には寺領寄進し、元和2年(1616)には本堂を造営、葵の御紋の使用も許可しています。嘉永7年(1854)に発生した安政東海地震により大きな被害を受け衰微しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により静岡浅間神社から仏式が廃され、それに伴い境内にあった薬師堂が清水寺に遷されています。
駿河三十三観音霊場第19番札所(札所本尊:千手観世音菩薩・御詠歌:濁りなく 頼む心は 清水の 流れに浮かぶ 身こそやすけれ)。駿河百地蔵霊場第37番札所(札所本尊:石地蔵尊・御詠歌:松風や 妙なる法の 音羽山 地蔵の縁も 深き清水)。山号:音羽山。宗派:高野山真言宗。本尊:千手観世音菩薩。
現在の清水寺観音堂は慶長7年(1602)に徳川家康が造営したと伝えるもので、木造平屋建て、四注造(四方に雨が流れるような形式)、桟瓦葺、桁行3間、梁間3間、1間向拝、外壁は朱色で塗られ、向拝に施された彫刻は極彩色で彩られています。清水寺観音堂と厨子(宮殿造、瓦葺、桁行94cm、梁間73cm)は江戸時代初期に建てられた社殿建築の遺構として貴重なことから昭和31年(1956)に静岡県指定文化財に指定されています。
清水寺本堂は昭和6年(1931)に造営されたもので、鉄筋コンクリート造平屋建、中国風の意匠、設計は古宇田実(神戸高等工業学校長)、施工は島藤組、建築面積186u、昭和初期に建てられた寺院本堂建築の遺構で、「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成11年(1999)に国登録有形文化財に登録されています。
清水寺庫裏は昭和6年(1931)に造営されたもので、木造平屋建て(一部2階)、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、建築面積249u、設計は古宇田実、昭和初期に建てられた近代和風建築の遺構で、「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成13年(2001)に国登録有形文化財に登録されています。
清水寺鐘楼は大正8年(1919)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、本瓦葺き、外壁は柱のみの吹き放し、建築面積27u、大正時代に建てられた鐘楼建築の遺構で、「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成12年(2000)に国登録有形文化財に登録されています。
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