宝台院(静岡市)概要: 金米山宝台院は静岡県静岡市葵区常磐町二丁目に境内を構えている浄土宗の寺院です。永正4年(1507)、光明寺(神奈川県鎌倉市、浄土宗大本山)第8世長蓮社観誉祐嵩上人が開山しました。当初は龍泉寺と称していましたが天正17年(1589)、徳川家康の側室である西郷局昌子(お愛の方、戸塚忠春の娘、西郷清員の養女、秀忠、忠吉の生母)が駿府城で享年38歳で死去すると菩提は龍泉寺に葬られ、法名「龍泉寺殿」が与えられています。
その後は徳川家から庇護され、慶長9年(1604)に家康公自ら描いた伝わる自画像(静岡市指定文化財)と「真の太刀(広忠からの伝来)」が寄進され、駿河国有度郡柚之木から紺屋町に移り寺領30石が安堵されています。元和2年(1616)には増上寺(東京都港区、徳川家の菩提寺)で行われた家康の葬儀では当時の住職が副導師を務めています。
西郷局昌子(お愛の方)は2代将軍徳川秀忠の生母にあたる人物だった事から寛永5年(1628)には秀忠の命で現在地である静岡市常磐町(旧下魚町)に境内を移し大伽藍が造営しています。さらに秀忠は寺領300石を寄進し、生母の法名「宝台院殿一品大夫人松誉定樹大禅定尼」から寺号も金米山宝台院龍泉寺に改称し家康の守り本尊だった「白本尊阿弥陀如来」を寄進しています。江戸時代を通して幕府から庇護され寺運も隆盛し、駿河国の觸頭、10万石の格式を得ました。
幕末には15代将軍徳川慶喜が将軍職を返上し明治元年(1868)水戸弘道館(茨城県水戸市)から明治2年(1869)に駿府代官屋敷(現在の浮月楼)に移るまで宝台院で謹慎し勝海舟や山岡鉄舟といった旧臣も見舞いに訪れています。
当時の宝台院の大伽藍は旧国宝を含め多くが文化財に指定され日露戦争時にはロシア兵の捕虜収容所になるなど歴史的にも意義がありましたが昭和15年(1940)の静岡市大火と昭和20年(1945)の戦災によりほとんどが焼失し、唯一応声教院(菊川市)に移築されていた山門が往時の名残とされます。
宝台院の寺宝である木造阿弥陀如来立像は大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。境内には西郷局之墓(静岡市指定文化財)やキリシタン灯篭(古田織部作、家康の侍女「ジュリアおたあ」が信仰し駿府城にありましたが、キリスト教禁止令に違反した「ジュリアおたあ」が神津島に流されると静岡奉行所を経て宝台院境内に移されました)が建立されています。山号:金米山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
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