大日本報徳社仰徳学寮(掛川市)概要: 大日本報徳社仰徳学寮は明治17年(1884)に 東京都千代田区霞が関に有栖川宮邸の一部である侍女部屋として建てられた建物です。皇紀2600年を迎える昭和15年(1940)の記念事業の一環として昭和13年(1938)、当時の社団法人大日本報徳社社長一木喜徳郎(慶応3:1867年〜昭和19年:1944年・掛川市出身、文部大臣、内務大臣、宮内大臣、枢密院議長)の尽力によりこの地に移築され当初は大日本報徳社の仰徳学寮、その後は各種講習会場、宿泊所として利用されました。
木造2階建、寄棟、桟瓦葺、平入、外壁は下見板張、押縁押え、玄関上部には切妻桟瓦葺の屋根が設けられ正面性を強調しています。大日本報徳社仰徳学寮は明治時代に建てられた数少ない宮廷建築の遺構として貴重なことから掛川市指定文化財に指定されています。平成24年(2012)〜平成25年(2013)に大規模な保存修復工事が行われ、平成26年(2014)3月14日に「旧有栖川宮熾仁親王邸侍女部屋」として静岡県指定有形文化財に指定されています。
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