掛川城御殿概要: 現在の掛川城御殿は嘉永7年(1854)に起こった安政大震災により大破した後再建されたもので広間・書院部が安政2年(1855)、小書院部が文久元年(1861)、諸役所部が万延元年(1860)に建てられました。掛川城の2之丸に位置し藩主の公邸兼掛川藩の政務が行われ、場合によっては儀式や様々な身分の人達と対面される場所にもなり、工法や意匠、建材など格式が高く床の間や書院などに名残が見られます。
掛川城御殿は木造平建、寄棟、一部入母屋、桟瓦葺、延床面積947u(287坪)、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張、玄関は破風屋根、式台付の格式の高いもので、御広間(30畳)、御談の間(8畳)、三の間(20畳)、二の間(16畳)、次の間(12.5畳)、御書院上の間(大書院・20畳)と続き、建物背後には小書院(15畳)、次の間(7.5畳)、大目付(8畳)、足軽目付、徒目付、吟味奉行、弾役所、御文書、御文証、御用人部屋(12畳)、長囲炉裏の間(20畳)などがありました。
明治2年(1869)に掛川城が廃城になると御殿は民間に無償で払下げとなり、以降、聚学校や女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用されました。現在、城郭に御殿が残っている遺構は掛川城の他、二条城(京都府京都市)、川越城(埼玉県川越市)、高知城(高知県高知市)の4ヶ城しかなく大変貴重なことから昭和55年(1980)に国指定重要文化財に指定されています。
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