龍華院大猷院霊屋(掛川市)概要: 天王山龍華院は明暦2年(1656)、掛川城主北条氏重が3代将軍徳川家光の位牌を祀る霊廟を造営したのが創建とされます。家光は慶安4年(1651)に死去し戒名「大猷院殿贈正一位大相国公」に因み大猷院霊屋と呼ばれました。北条氏重は信濃国人衆の1人保科正直の4男で後北条氏の流れを汲む北条氏勝の養子となり最終的には掛川城3万石が与えられましたが、氏重には5人の娘が生まれたものの跡継ぎの男子が生まれなかった為、幕府から跡継ぎ問題で優遇される為の行為とされます。万治元年(1658)に氏重が死去すると、画策もむなしく北条家は断絶し、替わって井伊直好が3万5千石で掛川藩に入封し、以後歴代藩主から庇護されます。
創建当時の霊屋は文化15年(1818)の火災により焼失、現在の霊屋は掛川藩5代藩主太田資始(江戸幕府寺社奉行・大坂城代・京都所司代・老中)が文政5年(1822)に再建したものです。宝形造、瓦葺(元こけら葺)、桁行3間(5.5m)、梁間3間(5.5)、正面1間向拝付、外壁は真壁造、板張、黒漆塗り、屋根軒下は弁柄色、木口と向拝部は金箔、細部の彫刻などは極彩色で彩られ、内部の天井は格天井でそれぞれに絵画が描かれ、春日厨子には家光の位牌が安置されています。
全体的に日光にある大猷院(栃木県日光市)に模した造りになっていて小規模ながら格式のある造りになっています。龍華院大猷院霊屋は江戸時代後期の霊廟建築の遺構として貴重な事から昭和29年(1954)に静岡県指定文化財に指定されています。又、境内は掛川古城の本曲輪跡で紅葉の名所にもなっていて龍華院子角山公園として整備されています。山号:天王山。宗派:天台宗。
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