掛川市: 遠江塚

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概要・歴史・観光・見所

遠江塚(掛川市)概要: 慶長8年(1603)11月11日、松平遠江守定吉切腹、享年19歳、戒名「為自照院殿前遠州大寺甲天英額大居士」、若くして切腹した定吉の菩提を弔う為、真如寺2代聚鯨和尚が古墳時代中期頃に築造した権現古墳の頂部に五輪塔が建立し何時しか遠江塚と呼ばれるようになりました。

定吉は徳川家康の異父弟で掛川城1万石城主松平定勝の嫡子で家康から見ると甥、2代将軍徳川秀忠から見ると従兄弟にあたり武勇に優れ将来を嘱望されていたとされます。切腹の理由は不詳ですが、酒宴の際、定勝父子が家康に酒杯を傾けていた刹那、一羽の大鷺が騒ぎ立てた為、誤って家康の衣服に酒を溢してしまいました。

定吉は大鷺を無礼と感じ弓で射抜き家康に献じたところ、家康から大将たるものささいな事を大げさに捉え無益な殺生をするものでは無い、今回は見事に仕留めたが、万一仕損じたら笑い者の種になるだけだと叱咤され、それを恥じ側近20人共々切腹したと云われています。

ただし、この行為は家康に対して抗議と捉えられる恐れがあった為、切腹で自害したことは内密にされ葬儀も人目がつかないように密葬にし遠江塚が築かれたと云われています。定吉の菩提寺は真如寺(掛川市仁藤)で境内には定吉の霊廟が建立され、寺宝である「松平遠江守定吉画像」は静岡県指定文化財に指定されています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-掛川市教育委員会・久保区

遠江塚:写真

遠江塚の全景を撮影した画像
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遠江塚のアップで撮った画像 遠江塚と刻まれた自然石の石碑 遠江塚の参拝者の身を身を清める手水 遠江塚の敷地の外から見た緑の濃い植栽の様子


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